Profile 運営者について

blancoron(ブランコロン)を運営している、小川ひろみです。

洋服のお直しとオンラインショップを運営しています。

WEBサイトの目的

このサイトの運営目的は、当店ブランコロンの運営、洋服のお直し・リメイク、仕入れた商品について紹介するものです。

洋服のお直し・リメイク」については、可能な限り、やり方・方法などを説明したいと思っています。少しでも効率良くお直しやリメイクをしたいので、自分で反省点がないかを知るためというのが大きいですが、お客様には、料金の参考に、もし、洋服のお直しをご自身でチャレンジされたい方には、少しでもお役に立つことがあれば嬉しいです。

Operation History 運営作業履歴メモ」というカテゴリーでは、備忘録のため、このサイトやお店を運営するのに、やったこと、購入したもの、困ったこと、失敗談や解決策などなど書いています。

オンラインショップ

オンラインショップは2店舗運営しています。

▼本店の方はカラーミーを利用していて、当店で取り扱っている商品の全てを掲載しています。

https://blancoron.shop-pro.jp/

▼ Yahoo店の方は、商品ごとの配送方法を選べないので、基本的にはメール便など小さいパッケージで発送できるものを掲載しています。

https://store.shopping.yahoo.co.jp/blancoron/

SNS

利用しているSNSです。

  • blancoron.com 当サイト/ブログです。2011年3月より始めました。情報発信用です。
  • LINE@(@blancoron)2018年8月より利用しています。お問い合わせ専用です。お客様とのやりとりがメインで、よっぽどのことがない限り、こちらから情報を発信をすることはありません。
  • Instagram (@blancoron) 2020年10月23日より始めました。情報発信用です。
  • FACEBOOK (https://www.facebook.com/blancoron)2011年5月27日より始めました。情報発信用ですが、内容はインスタとほぼ一緒です。
  • twitter (@blancoron)2011年2月から利用しています。情報発信用ですが、あまり利用していません。いずれ上手に活用したいなぁと思っています。

経歴 Resume

たまに、「洋服のお直しは学校で学んだんですか?」と質問を受けることがあります。

”洋服のお直し”に特化した学校で学んではいませんが、バイトで1年間洋服のお直しを経験しました。でも、1年バイトしたからできた、というわけではなく、学校でアパレル(既製服)の勉強をし、就職先で古着のリメイク事業に携わったりした経験もあります。

とはいえ、洋服の作り方は品物によってそれぞれで、縫い解いてみて初めてわかることが山盛りあります。なので、やっぱり日々の経験の積み重ねで洋服のお直しを学んでいます。

学校はアメリカの大学で専攻がアパレルでした。下記、どういう経緯でアメリカの大学に行くことになったのかを書いてみました。かなりはしょった割には長い話ですが、ご興味のある方はよかったら読んでみてください。

高校は、偏差値が極めてど真ん中の普通科でした。将来何をやりたいかをずーっと考えていました。とうとう決めなくてはならないとき、雑誌CUTiEで、バイヤーになって世界を旅し、自分のお店を持ったという人の紹介記事を読んで、私もそれやりたい!、と思い、英語とファッションの勉強をしたいと申し出ました。

担任の先生からは、昼はファッションの専門学校、夜は国際経済のある夜間大学に通い、英語はそのあと・・・という提案をされました。私には絶対できない自信がありました。お金も時間も倍以上かかりそうな非現実な提案だと思いました。効率よく…を考えた結果、海外の学校へ行ったら、英語とファッションとビジネスを1度に勉強できるのではないかと思い至りました。今思えば、考えが単純すぎる!と思いますが、無謀だからできた、何があっても絶対やる!っていう気持ちが強くて良かった、と思います。私の願いを叶えるために母がとても苦労してくれました。お母さんありがとう。

留学費用についてのお話です。私の留学は20年以上前の話ですが、今の時代だったら、私は留学できなかったと思います。(2021年の執筆です。)日本人の給与・賃金というのは20年前からそんなに変わっていないそうです。(なぜ日本人の賃金は30年間増えなかったのか...)

2001年5月に卒業しましたが私が卒業した次のセメスターから学費が1.5倍になったと聞きました。12か月も英語学校に通ったので、できる限りコスト削減して卒業したく、夏休みも休まず授業を取り続けました。夏の授業料は、同じ単位なのに普段のセメスターの3分の1だったんです。(セメスターとは年間二学期制の一つの学期のことをいいます。夏休みは3か月くらいありますが、そこでも限られた内容ですが授業を取ることはできます。)卒業後に学費が高くなったのを聞いて、ああ!ギリ!と本当に安心しました。今の学費は2倍以上になっているようです。ちなみに住んでいたワンルームのアパート(8畳くらい?studioでバスタブ付き)の家賃は、田舎だったのでユーティリティ(水道光熱費)込みで350ドルでした。

卒業後、シアトルに1年くらい住みました。チャイナタウン寄りの、ダウンタウンとブロードウェイの間、車がなくても買い物に不便のない場所なのに、8畳くらいの1K(バスタブ付き)、ユーティリティ込みで500ドルという破格な家賃のところでした。最近までシアトル付近に住んでい友人に聞いたところ、今は当時の3倍くらいに上がったと思うよ~!とのことです。ちなみに、その私がシアトルで1年くらい住んだところが、治安が悪いというのは帰国間際に聞いたので、住んでる間は幸せでした。隣が犯罪を犯した人たちの更生施設だったのも知らなかったし、アパートの下のコインラインドリーでたまに話しかけてくれるおじさんが実はジャンキーというのにも気が付きませんでした。道理で安いわけだと思いました。アパートの前には無料で食料品をもらえるところがあって、それがホームレス救済の事業とは知らず、アパートのオーナーさんに、お米とかあるし、もらってきたらいいよ~無料だよ~!なんて言われて、まだ収入がなかった時に、缶詰やお米、トマトをもらいに行ったこともあったなぁって。

とにかく、日本での給与賃金はあまりお変わりないというのに、アメリカはどんどん値上がりしてて、今では同じことしようと思ったらかなりの収入が必要になると思うと、就職氷河期の世代とはいえ、留学できたのは母の努力も含めて本当のラッキーだったと思います。

さて、長くなりましたが、当時としては、英語とファッションとビジネスを一度に学びたい、というお得感を求めてアメリカ留学に至ったというお話でした大学は母の友人の息子さんが通っていたというのがあって、とりあえず英語学校から、と選んだ場所でしたが、NYなどの都会は学費の他に生活費も払える金額ではありませんでした。ワシントン州プルマンというのは、とても田舎ですが、Washington State Universityにアパレル学部があるし、どこで学んでも一緒よ!という在校生のアドバイスもあって、付属の英語学校卒業後はそのままワシントン州立大学に入学しました。どこで学んでも一緒なわけないと今となっては思いますが、結果的にWSUを選んで本当によかったです。

学校

2001年ワシントン州立大学アパレルマーチャンダイジング&テキスタイル学部 卒業。

Apparel(既製服)のMerchandising(商品計画)とTextile(布製品における生地)学部のProduct Development(製品開発)という学科を専攻しました。2021年現在は、Apparel Designと Merchandisingの2つの学科になっているようです。私がいた時は、MerchandisingとProduct DevelopmentとInterior Designの3つだったかな?と記憶してます。

マイナーはFine Arts(美術)です。Minor マイナーとは副専攻のことです。ある程度の単位があれば副専攻として登録?認定してもらえます。アパレル専攻するのに必須科目がありますが、その中にデッサンなど美術のクラスがいくつかありましたので、カメラのクラスやグラフィックデザインのクラスなどを追加して、副専攻を美術にした次第です。

AMT(apparel merchandising & Textile)学部 Product Development学科では、型紙を作って服を作成する実技的な授業、繊維を顕微鏡で見たり、ちょっと燃やして特性を見るというような実験する授業もありました。アパレル(既製服)なので、Fabric Consumption ファブリックコンサンプション(必要な生地の量を計算する算数的な)授業や、Visual Merchandising ビジュアルマーチャンダイジング(戦略的な売り場作り)に関する授業Corel Drewというソフトを使ったTextile Surface テキスタイルサーフェイス 生地のデザインをする授業もありました。

年に一度、Mom’s weekend(母の日週間)の時期にファッションショーがあって、それは必ず在学中に1回は参加しないといけません。必須単位。モデルは自分で見つけて、自分でデザインして、型紙作って、服作って、音楽なども決める、みたいな感じです。私のマイナーが美術だったので、ヌードデッサンのモデルをしていたお二人(African AmericanとCaucasian)、タイ人の友人、この3人に私のショーのモデルになることをお願いし、快諾してもらえました。いま思いだしてもありがたい。ショーはVHSに録画してもらえるのですが、ビデオテープなので、今は見ることはできなくて良かった~と思っています。頭の中で良い思い出として流れる分で十分です。あと、これは教授たちの温情に違いないと思っているのですが、少しばかしコンピューターの扱いが他の生徒さんたちと比べるとできたということもあって、Computer Aided Design Awardという賞と300ドルのスカラーシップをいただきました。テキスタイルデザインのクラスでやったプロジェクトが評価されて。学部長で私のアドバイザーだった教授とは、フェイスブックでですが今でもつながっていて、質問するとすぐに返信してくれて本当にありがたいです。

その後の経歴

帰国後、下記の事柄を経験しましました。

都内にて、

  • 服飾関連のバイヤー(ここで古着のリメイク事業に携わる。)
  • インターネット通販のマーケティング(美容に関する商品の担当でしたがネット通販の流れは勉強できました。)

神奈川県内にて、

  • 教育に関する研究所で広報などの事務職(刊行物にかかわる仕事、海外研究者の接遇係)
  • 服飾関連の生産管理(インドの生産工場とデザイナーと営業の間であれこれする係)
  • 洋服のお直しショップでの実務

2010年横須賀ビジネスオーディションに受かったのを機に、2011年2月22日、横須賀の安浦町にblancoron(ブランコロン)をオープンしました。

2013年11月にお店を安浦町から三春町へ引っ越ししました。

Owner-operator
Hiromi Ogawa

EDUCATION
Washington State University, B.A. in Apparel Merchandising and Textiles, Aug. 1997 - May 2001
Received “Computer Aided Design Award” April 2000

EXPERIENCE
Seamstress (part-time) in a clothing alteration shop, 2010, Yokosuka, Japan

Assistant General Manager over Product Development (Contract employee) in a fashion industry , Apr. 2008 – Apr. 2009, Yokohama, Japan

International Public Relations Liaison (Temp staff) in a national institute of s. n. education, Apr. 2007 – Mar. 2008, Yokosuka, Japan

Merchandising in E- commerce in a cosmetic industry (full-time) - Dec. 2004 - Oct. 2006,Tokyo, Japan

Buyer in a fashion (second-hand) industry (full-time) - Apr. 2003 - Sep. 2004, Tokyo, Japan

追記 英語について About English

2022年1月から、努めて英語でも記事を書こうと心がけています。目的は2つです。

I am trying to write articles in English on this blog since 2022. I have 2 purposes.

  • 英語の練習 to maintain my English
  • 英語スピーカーの方々にも利用して欲しい for English speakers

6年もアメリカにいたくせに英語は得意ではないです。びっくりするくらい語彙力がないし、文法もイマイチだったり。でもせっかく学んだので忘れたくなく、ネットフリックスで英語のドラマやドキュメンタリーを毎日見て聞くようにしています。

I am still learning English and I will keep doing it. English speakers are always welcome.

アメリカにいた時の私の英会話の練習方法は、テレビとモノマネです。(あと、カンヴァセーションパートナー!英語を学びたい私と日本語を学びたいアメリカ人とお互いに会話のパートナーになるのです。これが一番大きいかもしれませんが、四六時中一緒にいれないので、カンヴァセーションパートナーに会う以外はこの方法をとっていました。)

アメリカでは耳が聞こえない人のために、テレビにはキャプションがつきます。英語の字幕がでるんです。なので、いつもそれをオンにしていました。

映像を目で見て状況をつかみ、耳で言葉を聞いて、字幕に出てきた単語と音をマッチさせて、モノマネしながら口にだす。というのをひたすらやっていました。

アメリカでは自分の意見を常日頃言わないといけないのですが、言わなきゃいけない場面で緊張して頭真っ白になったときは、まず、英語ができる意見をビシバシ言う日本人の友人を思い描いて、彼女だったらこう言うだろう、私が彼女なら…とその人になった気持ちで話しをすることで、なんとかやり過ごすことをしました。

日本にいる時は興味のないことでも、自分の考えを持って言葉にするというのが、とても苦手でした。加えて言うなら、苦手だということにも気が付いていませんでした。

英語力と日本語力はイコールなところがあって、日本語で説明できないものは英語でも説明できないんですよね。当たり前なんですが。日本語だと、良く知りもしないことをなんとなくふんわり話せるので、実は自分がしっかりと事柄について話せていないことに気が付きにくいんじゃないかな?なんて思います。聞いた側が、いい感じで話してたけど、結局何の話してたんだろ?ってまるでポイントを掴めないとか、後になって思い出せないとか…。私に限ったことかもしれません。私は日本語でも話せていないことに自分自身が気が付いていませんでした。

なので、私に足りないのはいつでも日本語のスキルと話す内容の知識です。それからの英語。

なんでも興味を持つようにして、少しずつ広く知識を得て、英語に少し自信がついてきて、ようやく誰かを憑依させずに自分の考えを自分の言葉で伝えられるようになったかなぁと思います。

私の英語は(日本語も)一進一退ですが、少しづつでも使って学んでいきたいと思います。